日本で電気について学ぶようになったのは、1873年に明治政府が主導し生まれた工部大学校の開校がきっかけです。のちに東大工学部となり、その大学の学部の一つに、電気について学ぶ「電信学科」がありました。電気のみならず電線についても講義が行われ、たくさんの生徒が学んでいたそうです。
工部大学校の2期生になる「岩田武夫」は、在学中から青森と函館間を繋ぐ「青函海峡」の工事に携わるなど優秀さを評価されていました。3期生からは活躍している人も増え、「中野初子」は、卒業したあとに助教授から教授になり高圧送電を実現するまでになりました。他にも「藤岡市助」はのちに「日本の電気、電灯の父」と呼ばれるようになりました。
「浅野応輔」は、教授として生徒に教えたあと、東京帝国大学工科大学(東京大学工学部)の教授として、海底ケーブルなどの研究を行い、確かな実績をあげたそうです。近代日本の電気工学の基礎を築いた人物でもあり、自身が開発した通信機を使い、長崎から台湾の通信にも成功した人物として名前を知られています。